連日の校外実習から解放された池田三郎次は、その後与えられた三日間の休日の中日、少々足りなくなっていた日用品を購入するため町に出ていた。仲の良い同級生を誘おうかとも思ったのだが、川西左近は不運による負傷のため外出できず、能勢久作には気が向かないと断られた。時友四郎兵衛は組が違うので、今日も授業があるから問題外である。 そんなわけで、もともと一人で出かけるのを苦としない三郎次は、一人で新品の筆やら手拭いやらを買い求めていた。 「お嬢さん、今日は何をお探しかね?」 そんな猫撫で声が耳に入ったのは、小腹を満たそうと茶店を探していたときだった。見れば、化粧道具を眺めていたらしい小柄な女に、あまり人相のよろしくない男が近寄っている。 「ええと、あの、紅を…」 「そうかそうか。だったら私が、もっといい店を紹介してやろう。お嬢さんに似合う、飛びっきりの品が置いてあるんだよ」 戸惑ったように口籠もる女の肩に、男の毛深い無骨な腕が伸びる。それが大人しい色合いながら粋な、薄桜色の小袖に触れる前に、三郎次は女の華奢な手首を掴んで引き寄せた。 「そろそろ行くぞ」 「あっ…」 「ちょっと、何だい?兄さん」 「俺の連れだ。急ぐから、紅を買ってる暇はない。悪いな」 それでも何か言い募ろうとする男を鋭い眼光で黙らせて、三郎次は女の肩を抱いて歩き出した。女も、無駄口を叩かず大人しくついてくる。店から十分離れたのを確認すると、素早く脇の路地に足を踏み入れた。 「…何やってんだ、そんな格好で」 「先輩こそ」 苦々しげに吐き出された言葉に、眉尻を下げて苦笑するのは、化粧が施されてはいるものの、紛れもなく二郭伊助の顔だった。人によってはそろそろ女装をするのが苦しくなってくる年頃のはずだが、少々肉づきの良い身体の線は女性に近く、柔らかそうな頬や優しい双眸も、少女と言っても無理はない。 「実習ですよ。この格好で、日暮れまでに殿方に何か買ってもらわなければならないんです」 「そう言えばあったな、そんな実習」 去年の授業を思い出し、それで紅がどうとか言っていたのかと納得した三郎次だったが、自然ぽってりとした唇に目が吸い寄せられそうになり、慌てて目を逸らした。いつもより赤みの強い唇に、頬に血が上りそうになる。 「先輩はどうなさったんですか?」 「べつに、長期実習が終わって暇だったから買い物に来たら…お前があほみたいに絡まれてたんだよ」 ああ、あほみたいじゃなくて、あほだったな。悪ぃ。 そう言ってにやりと笑ってやれば、狙い通り、伊助の頬がぷくっと膨らむ。 「あほあほって、あんなの僕ひとりでも大丈夫だったんですよっ」 「膨れるなよ。余計もちみたいに見えるぞ」 「余計ってなんですか!」 伊助も本気で怒っているわけではないから、ぽかぽかと叩きつけられる拳にはほとんど力が入っていない。しかし、それが左肩を掠った一瞬だけ、三郎次が息を詰めたのを、至近距離にいた後輩は見逃さなかった。 「お怪我を…?」 「かすり傷だ。大事ない」 さっと顔色を曇らせた伊助に首を振る。実際、少々手裏剣が掠めただけの傷だった。そうは言っても、伊助は泣きそうな表情でこちらを見上げてくる。 「でも、僕、助けていただいたのにお礼も言わないで…」 「気にするなって!たまたま暇だったって言ってるだろ!」 知らずきつくなってしまった語調にしまった、と唇を噛むが、突然の怒声にきょとんとした伊助は、ああ、と間抜けな声を出した。 「僕、いっぱい言わなきゃいけないことがあったんですね」 「は…?」 「三郎次先輩」 伊助の所作は普段から粗暴というわけでは決してないけれど、普段の数倍は淑やかな動作で、ゆっくりと頭が下げられる。長い髪がさらりと音を立てた。 「助けていただいてありがとうございました。それと、実習、お疲れ様でした」 同じ速度で上げられたのは、花が綻ぶような笑顔。 「…おかえりなさい」 反則だ、と思った。それから、遅れた熱が頭の天辺まで昇ってくる。これは耳まで赤くなっているんじゃないだろうか。 「っ、お前、その格好で、また男に声をかけられるのを待つのか?」 「?はい」 前触れのない話題転換に、伊助は不思議そうにしながらも頷く。これは授業なのだから当たり前だった。 しかし、三郎次にしてみれば冗談ではない。男に物を買わせるための手練手管は、三郎次だとて習い、実践したことがある。相手を言いなりにするための甘い笑顔も、媚びるような態度も、伊助が自分以外の人間に見せるなんて耐えられなかった。 「来い!そんなもん、俺が買ってやる!」 「え、で、でも、先輩!?」 何かごちゃごちゃ言っているのを無視して、はじめに目についた櫛屋に飛び込む。引き摺られるようについてきた伊助は、商品を見る三郎次の真剣な様子に、諦めたように口を噤んだ。 「ほら、これでいいんだろ」 ほどなく、伊助の手のひらに落とされたのは、桜模様の彫りが美しい、質の良いつげ櫛だった。実家が染物屋のため、こういったことにはうるさい伊助から見ても、かなり好みの品だ。 「…ありがとうございます。でも」 「でも?」 「あの、これは実習なので、忍術学園の生徒で、しかも僕が男だと知っておられる先輩に買っていただいても、合格にはならないかと…」 言われてみれば当然のことである。何故気づかなかったのかと頭を抱えたくなったが、どうしたって後の祭りだ。 「…じゃあ、実習がんばれよ」 居たたまれなくなってその場を去ろうとしたのだが、ふいに温かいものが自身の腕に添えられる。見れば、櫛を懐に仕舞い込んだ伊助が、照れたように微笑みながら手を伸ばしていた。 「ねえ、先輩。お茶でも飲みに行きませんか?」 「課題はいいのか?日暮れまでいくらもないぞ」 「いいんです。僕はあほのは組ですから、補習なんて慣れっこなんですよ」 えへへ、と笑う伊助の髪から、香油の芳しい薫りが漂ってきて、三郎次はもう何度目かの眩暈を覚える。補習は阻止できないにしても、今日くらいはこの艶姿をひとり占めしてもいいかもしれない。そんなことを考えながら、三郎次は伊助の鼻をぎゅっと摘んでやった。 「むぎゅ」 「…茶代は奢ってやんねえぞ、ばーか」 蜜夜さんから頂きました! 女装大好き☆ 何だかんだで、デレれる三郎次先輩はたまんないですっ! 最後のばーかって……っ!!わ、私を萌え殺しさせる気ですか!!? 初書きを頂いてしまって…本当にありがとうございます! |